帰郷する友人と引っ越し箱を運ぶビジュくん。イメージイラスト

引っ越しの段ボールに、友人が太いペンで「本」と書いた。次の箱には「まだ使う」。さらに次の箱にも「まだ使う」。ビジュくんが笑うと、友人は「何を持って帰るか、いまだに決められない」と言った。栃木で生まれ、進学と就職を機に東京へ出た彼女は、今度は地元へ戻る。いわゆるUターンだ。

週末ごとに家族と連絡を取り、住む場所も探し始めている。外から見ると、もう決心がついたように見えた。けれど友人は、箱を閉じる手を止めた。「帰ることは決めた。でも、帰ってからの自分が、まだ見えない」。ビジュくんは段ボールを抱えたまま、うなずくしかなかった。

ビジュくん自身は栃木へのIターンを考えている。知らない土地へ行く不安なら、いくつも思い浮かぶ。知っている土地へ戻る人に、同じくらい大きな不安があることを、この日初めて知った。この友人と出来事は、移住を考えるための創作例である。

「おかえり」の先にある、平日の時間

友人の実家には昔の自分の部屋がある。帰省すれば、駅からの道を迷うこともない。懐かしい店の前で、足も自然に止まる。それでも、帰省と移住は違う。帰省中なら「また今度」で済む用事が、暮らし始めると毎週の予定になる。仕事が終わった後の買い物、家族との食事、休日の使い方。東京でつくった生活の輪郭を、故郷の中でもう一度描かなくてはならない。

友人は最初、実家に戻れば住居費を抑えられると考えていた。だが、通勤先の候補を書き出すと、実家から無理なく通える場所は限られる。家族と過ごす時間が増える一方で、一人になれる時間をどう確保するかも気になった。「家がある」は心強い。ただ、それだけで住まいの答えにはならない。

ビジュくんは紙を一枚広げ、友人と二つの平日を描いた。実家で暮らす日の朝から夜まで。別の場所で暮らす日の朝から夜まで。通勤、家事、家族との会話、ひとりの時間。数字だけの比較表には現れない「息がしやすいほう」が見えてきた。

実家の部屋と通勤経路を地図に重ねて比べるビジュくんと友人
実家の部屋と通勤経路を地図に重ねて比べるビジュくんと友人(イメージイラスト)

昔の自分の続きを、演じなくていい

友人は地元の知り合いに会うのを楽しみにしていた。だが同時に、「昔と変わったね」と言われるのが少し怖いという。学校で会っていたころは、同じ道を歩き、同じ行事に参加した。今はそれぞれ仕事も生活も違う。帰れば当時の関係に戻れると思うほど、実際の変化に戸惑うかもしれない。

ビジュくんは「昔の仲間がいるから大丈夫」と軽く励ましかけて、言葉を飲み込んだ。友人が欲しいのは、過去を再現する場所ではない。これからの自分で話せる相手だ。そこで二人は、昔の友人に一斉に連絡する計画をやめた。まず一人に、「戻ったら近況を聞かせて」と送る。返事を急がず、今の相手の暮らしも聞く。再会を、大きな同窓会ではなく一杯のお茶から始めることにした。

そして地元にいた頃には知らなかった活動にも目を向ける。仕事の交流会、地域の企画、趣味の集まり。Uターンの人が「地元出身者」である前に、一人の新しい参加者になってもいい。昔から知っている風景に、新しい入口を探すのだ。

旧友へ近況を尋ねる短いメッセージを書く友人を見守るビジュくん
旧友へ近況を尋ねる短いメッセージを書く友人を見守るビジュくん(イメージイラスト)

仕事は「戻ってから探す」で片づけない

箱のふたに友人が書いたもう一つの文字は「仕事」だった。東京で積んだ経験を栃木でどう使うかは、まだ答えがない。今の会社に勤務を続ける選択肢があるのか、県内で職を探すのか、働き方を変えるのか。何となくの希望を一つにまとめると、準備の順番が曖昧になる。

友人は求人票を眺める前に、今の仕事で続けたい部分を三つ書いた。人と一緒に企画をつくること。完成まで責任を持つこと。夜遅くまで働かずに暮らすこと。役職名ではなく、仕事を選ぶときの軸である。逆に、戻った後は優先順位を下げたいことも書いた。

ビジュくんは自分のIターン用の予定表を取り出し、友人に見せた。勤務先への確認、収入が変わる場合の試算、候補地での通勤体験。進む方向は違っても、必要な確認は重なる。友人は「帰るんだから何とかなる」と言わずに済むことに、少しほっとした。

仕事で続けたいことと変えたいことを付箋で整理する二人
仕事で続けたいことと変えたいことを付箋で整理する二人(イメージイラスト)

支援制度も、出身地では決まらない

「地元に帰る人向けの補助金ってあるかな」。友人の問いに、ビジュくんは即答しなかった。県や市町の支援制度は、出身地だけで対象が決まるものではない。たとえば栃木県の移住支援金は、転入前の居住・通勤履歴、移住後の就業等の条件、申請先の市町などを確認する必要がある。制度は年度や市町によって変わり得る。

二人は、支給額だけを検索するのをやめ、確認する順番を決めた。いつ、どこに住んで働いていたか。転入後の仕事は何か。候補の市町はどこか。申請前に必要な手続きはあるか。分からないところを印で残し、移住先の市町の窓口に聞く。受け取れるか未確定のお金は、引っ越し費用の計算には入れない。

支援が見つからなければ帰れない、という話でもない。支援があるから急いで帰る、という話でもない。自分の生活が続く条件を先に確かめ、そのうえで使える制度を探す。友人はその順番に納得した。

移住支援制度の公式情報と自分の条件を照らし合わせる二人
移住支援制度の公式情報と自分の条件を照らし合わせる二人(イメージイラスト)

帰る日を決める前に、一度だけ普通の月曜を

段ボールを運び終えるころには、外が暗くなっていた。友人はスマートフォンのカレンダーに、栃木へ行く日を入れた。物件をまとめて見る休日ではなく、平日の月曜日。朝の通勤を試し、昼は仕事先の候補の周辺を歩き、夕方は家族と今後の暮らし方を話す日だ。

「帰ってからのこと、帰る前に少しだけやってみる」。友人がそう言うと、ビジュくんは最後の箱を車に載せた。地元へ戻ることは、時間を巻き戻すことではない。知っている道で、新しい生活をつくることだ。もしあなたがUターンを考えているなら、懐かしい場所を一つ訪ねたあとに、まだ知らない自分の平日を一つ歩いてみてほしい。

次にビジュくんが会うのは、故郷そのものには戻らず、故郷に近い町を選ぼうとしている人。近さと自由の間には、また別の難しさがある。

ビジュくんが最初に栃木を訪ねた日の話は、[移住を決める前に、まず一度歩いてみた](./column-viju-visit-before-moving-20261004.html)で読める。

観光ではない平日の町を歩き、これからの暮らしを試す友人とビジュくん
観光ではない平日の町を歩き、これからの暮らしを試す友人とビジュくん(イメージイラスト)

ビジュくんが持ち帰った「戻る前の三つの質問」

帰り道、ビジュくんは自分のノートにも友人の言葉を書き留めた。まず「地元の何が好きで、今の暮らしの何を残したいか」。故郷への思いと、いま築いた生活は競争させなくていい。どちらも大切なら、二つを持ったまま計画を立てられる。

次に「帰ってからの最初の一か月、平日はどう動くか」。住まい、仕事、移動、家族との時間を、予定表に実際に入れてみる。休日の一日だけなら成り立つ計画も、五日続けてみると無理が見つかる。見つかった無理は、失敗ではなく交渉と準備の材料だ。

最後に「困ったとき、誰に何を相談するか」。家族に話せること、勤務先に確認すること、市町の窓口に聞くことは別々だ。一人に全部を聞こうとしなくていい。友人は段ボールに貼った「まだ使う」を見て笑った。東京で身につけた仕事のやり方も、人との距離の取り方も、故郷へ持って帰っていいのだ。

確認に使える公式情報

制度情報の確認日:2026年10月7日。掲載した栃木県の案内では、移住前の居住・通勤履歴や移住後の就業等に条件があります。申請窓口は移住先の市町です。対象となるか、対象年度の募集状況や必要な事前手続きは希望する市町の公式案内と窓口で確認してください。ビジュくんと友人の出来事は創作です。